東京高等裁判所 昭和57年(ネ)2024号 判決 1983年3月09日
控訴人 前田きく
右訴訟代理人弁護士 谷正昭
被控訴人 福本正
右訴訟代理人弁護士 飯塚計吉
主文
原判決を取消す。
被控訴人の請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 控訴人
主文同旨の判決
二 被控訴人
控訴棄却の判決
第二主張
当事者双方の主張は、次に付加するほか原判決事実摘示中関係部分記載のとおりであるから、これを引用する(なお、「本件土地」、「本件建物」、「本件賃貸借契約」及び「本件合意」の用語は原判決のそれと同じである。)。
一 控訴人
本件は、最高裁第三小法廷昭和四四年五月二〇日判決に則って解決すべきである。すなわち、
1 実質的に考察してみるに、本件合意(別紙甲第一号証)は、文言上は本件賃貸借契約を即時に合意解除し、七年間明渡を猶予するというものであるが、両当事者間の関係は、右文言上その後も明渡期限まで従来通りの土地使用関係が継続され、その土地使用にかかわるものとして一定額の金員が支払われ、その金額が毎年のように増額されることが予定され、現実にもその通り実行され、支払方法も従前通りであり、また明渡期限の到来により土地賃貸借契約解除の効力が生じる場合と比較して、何らの経済的利益をも控訴人が得るものでなかったのであるから、本件合意は客観的にみて七年間という期限の到来により賃貸借契約を解約する契約と何らの差異がないものである。控訴人は高令で法的に無知であり、本件合意により七年後に明渡さなければならないという程度の認識はあっても、それが七年間の賃貸借による契約期限到来によるものか、契約の解除は即時で七年間の明渡猶予があるものか、また七年後に契約が解除となるものか等の認識がなかった。
従って、本件合意は右判決のいう期限付合意解約と実質的には客観的にも主観的にも差異は認められないのであり、借地法第一一条の適用に差異を設ける理由はない。
2 類型的に考察してみるに、本件合意は抽象的には即時解約かつ即時明渡のものと期限付合意解約との二つの解約類型の中間に位置するものといえる。期限付合意解約の場合借地人のおかれる立場を考慮して原則として借地法第一一条の適用があると解されるならば、本件合意の場合も借地人のおかれる立場は右の場合と重要な点で同一であると考えられるから、原則として同法条の適用があると解すべきである。
3 本件合意は前記法条により無効である。
(一) 被控訴人が本件合意前控訴人に対して申立てていた調停は本件建物朽廃を理由として明渡を求めるものであったが、本件建物は現在なおしっかりしているから、朽廃によって、あるいは更新拒絶によって控訴人の意思に反して借地関係が終了する可能性は皆無であった。
(二) 控訴人は貧しく身よりのない高令の女性であって他所へ転居する意思も資金も皆無であり、まさに借地法の保護に値する借地人であるといえるのに対し、被控訴人には明渡を求めるべき格別の理由を見出しえない。
二 被控訴人
1 本件合意は、借地契約の合意解除とこれに伴う土地明渡猶予の約定であって、控訴人主張の最高裁判決のいう「期限付合意解約」ではないから、借地法第一一条が適用される余地はない。
2 本件合意は控訴人の自由な意思に基づくものであり、解約には合理的客観的理由がある。すなわち、
(一) 賃貸借契約存続中で、しかも満三〇年の期間満了によってそれが終了する直前になされたものである。
(二) 被控訴人が控訴人に対して申立てた土地明渡調停手続中に成立したものである。
(三) 当事者双方折衝の結果、控訴人の希望をいれ、明渡猶予について極めて長期の期間が約定された。
(四) 控訴人は老令でもあり七年の期間があれば十分に居住の目的が達せられると考えられていた。
(五) 控訴人は明渡猶予期限の到来まで七年間にわたり、毎月機会があったにもかかわらず異議・苦情の申出が全くなされなかった。
(六) 建物自体朽廃寸前の状態にあった。
第三証拠《省略》
理由
一 控訴人が被控訴人から本件土地を賃借し、同地上に本件建物を所有していることは当事者間に争いがない。
二1 右争いのない事実に《証拠省略》によると、「控訴人の夫前田孝太郎は、昭和一三年ころ訴外渡辺博之から本件建物を賃借していたが、同一九年三月一七日ころ同人から本件建物を買取った際、同人から本件土地を建物所有の目的で期間を定めず賃料を坪当り月三〇円、毎月二七日払いの約で賃借した。右孝太郎は、同三四年五月三日ころ死亡し控訴人は相続により本件建物の所有権及び本件土地賃借権を承継した。被控訴人は、同三八年八月一二日右渡辺から本件土地を買受けてその所有権を取得し本件賃貸借契約の賃貸人たる地位を承継した。被控訴人と控訴人は同四八年一二月一二日甲第一号証記載の合意をした。」との事実を認めることができ、これに反する証拠はない。
右認定の事実によると、本件賃貸借は借地法の適用ある賃貸借であって、期間の定めがなく、堅固でない建物所有目的であるので、この場合の借地権の存続期間は三十年(法第二条第一項)とされているから、本件賃貸借は昭和四九年三月一七日に期間が満了するところ、右期間満了の約四か月前である同四八年一二月一二日本件合意により、被控訴人と控訴人は本件賃貸借契約を即時解除し、被控訴人は控訴人に対し爾後七年間本件土地の明渡を猶予し、控訴人は右猶予期間中被控訴人に対し賃料相当損害金を支払うことを約したことが明らかである。
ところで、土地賃貸借の期間満了に際し賃貸人が更新を拒絶する場合には右拒絶につき正当事由の存在が要求され(法第四条第一項)、契約により期間を更新する場合には堅固でない建物のときは二十年とされ(法第五条第一項)、これより短期間の合意をすることは法第一一条により原則として無効となる。
本件においては期間満了に際し即時賃貸借契約を解除し爾後七年間土地の明渡を猶予するというのであるから、文言上は法第五条の適用があるとはいえないが、本件合意によれば右猶予期間中は賃料相当の使用損害金を支払う約定もあるのであるから、実質的にみれば、更新後の期間を七年に定める合意をしたものと変りはなく、従って右合意は同法条に違反し原則として法第一一条に該当するといわなければならない。ただし、本件合意に際し賃借人たる控訴人が真実本件契約締結の意思を有していると認めるに足りる合理的客観的理由があり、かつ、他に合意を不当とする事情の認められない場合にかぎり法第一一条に該当しないものと解するのが相当である(最高裁昭和四四年五月二〇日判決参照)。
2 そこで右事情の存否について検討するに、前記認定の事実に《証拠省略》を総合すると、次の事実を認めることができ(る。)《証拠判断省略》
(一) 被控訴人は、本件土地を買受けた際、渡辺から訴外川崎信蔵が同人から賃借している土地をも買受けたが、昭和四八年九月二七日飯塚計吉弁護士を代理人として控訴人及び川崎を相手取り、本件土地については本件建物がかなり朽廃していること及び自己使用の必要があることの理由をもって横浜簡易裁判所に建物収去土地明渡の調停申立をした(右調停申立をしたことは当事者間に争いがない。)。当時本件建物は朽廃の状態になく、また被控訴人が本件土地を自己使用する具体的事情が明らかにされた形跡はない。
(二) 他方、控訴人は夫とともに本件建物に居住していたが、夫死亡後は本件建物の一部を賃貸したり縫物をして得る収入で家計を維持し、本件合意当時は七四才の高令で他に身寄りもなく電話の設置もない貧しい生活であった。
(三) 控訴人は本件合意に先だつころ本件土地の管理をしている被控訴人の母伊藤まきから本件賃貸借契約を更新するには一〇〇万円の更新料が必要であるといわれていた。また、控訴人は昭和四八年一〇月二三日右調停事件の処理を、川崎が自己の前記調停事件処理のため委任した沢野順彦弁護士に委任したが、同弁護士と事件処理のため面談したこともなく、自分でも調停期日に出頭したことはなかった。
(四) 控訴人は昭和四八年一二月一二日午後、被控訴人代理人である飯塚弁護士、同事務所事務員某、被控訴人代理人(妻)福本淑子らの来訪を受け、右福本が控訴人に対し本件土地を五年後に明渡してほしいと主張し、控訴人はせめて一〇年待ってほしいと主張し、双方が譲歩した結果、控訴人が七年後に本件土地を明渡すことを骨子とする合意が成立し、同日甲第一号証を作成し、被控訴人代理人は同四九年一月一七日控訴人に対する前記調停事件を取下げた。
(五) 本件土地の使用損害金は、従前の賃料の額をそのままに本件合意当時は月額八〇〇〇円であったが毎年増額されて昭和五四年八月には月額一万八〇〇〇円になった(右金額はいずれも当事者間に争いがない。)が、控訴人はこれを地代のつもりで毎月滞りなく支払を続けた。
右認定の事実によると、本件合意当時、本件建物は朽廃の状態になく、被控訴人には更新拒絶の正当事由もないのに比し、控訴人は高令で細々と生活し他に転居のあてもなく、延長された右七年間本件土地使用関係の法的意味の理解も乏しく、その場の雰囲気からやむなく本件合意をするに至ったことを推測するに難くないから、これらの事情を斟酌すると、本件合意は控訴人において真実その効果を欲していたと認めることは到底できないし、かつ客観的にも控訴人に対し不当に苛酷なものといわざるをえないから、前記判例の趣旨にてらし、本件合意は無効といわなければならない。
三 そうすると、本件賃貸借は昭和四九年三月一七日に期間満了となったこととなるが、《証拠省略》によれば、控訴人が右満了後引続き本件土地の使用を継続していたことは明らかであり、本件賃貸借はいわゆる法定更新により現に存続していることはいうまでもない。
四 それ故、被控訴人の本訴請求はその余の点を判断するまでもなくいずれも失当として棄却すべきであるのに、これを認容した原判決は不当であるからこれを取消したうえ本訴請求をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 石川義夫 裁判官 寺澤光子 寒竹剛)
<以下省略>